「学校の環境が合わない」子もいるという事実

不登校全般

みんなが「行くのは当たり前」と考えている学校ですが、その環境に合わない人もいます。誰だって多少は「学校行くの面倒だな」と思うかもしれませんが、中にはその場にいるだけで強い苦痛を感じるという人がいます。そういう人のことを、少し想像してみてもらえたら、と思います。

学校の「環境」について考えてみる

集団の一斉授業

日本の学校は、概ね集団の一斉授業というスタイルです。

学校によって人数の違いや授業によっては多少動きのある場面もありますが、基本は、大人数で全員先生の方を向いて話を聞くことになります。

先生の話を集中して聞く

45分~50分の間、先生の説明をじっと聞いている必要があります。子どもが集中できる時間は一般に年齢×1分とされ、中学生でも15分程度が限界といわれています。

長時間先生の話を聞き続けるのは、子どもにとってはなかなかの苦痛といえそうです。

というか、自分の苦手な教科だったら大人でもきついかも……。

基本的に座って静かにしなければならない

集団授業では、じっと座って静かにしている必要があります。周囲の人に迷惑をかけないため、それとともに、授業をする先生の邪魔をしてはいけないという雰囲気もあります。

大勢の人が周囲にいる

自分の席の近くには大勢の人がいます。人がたくさんいると集中することが難しい子もいます。また、パーソナルスペースも人によって異なりますが、学校ではパーソナルスペースへの配慮はされないのが一般的です。

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学校の環境に耐えられない人の感覚

感覚が過敏

視覚・聴覚・嗅覚・触覚といった「感覚」は、人によって大きく違います。同じ刺激でも負担に感じない人もいれば、とても苦しいと感じる人もいます。

特に、発達障害の子に多く見られるのが感覚過敏です。

発達障害ではない人は、多くの情報があっても比較的一つのことに集中することができるものです。聴覚を例にとると、多少教室内がざわついていても、先生の話を集中して聞こうと思えば聞くことができるでしょう。発達障害では、脳の特性上必要のない音にフィルターをかけるのが難しく、教室内のすべての音が耳に入ってきてしまって先生の話に集中することができません。

その他の感覚カ過敏についても、次のような困りごとが考えられます。

視覚 : 視界がまぶしく感じて疲れる・掲示物が気になって集中できない・教室内に物が多いと目を奪われて落ち着かない。

聴覚 : ざわざわしているのが苦手・大きな音や声が苦手・クラスの笑い声が耐えられない・たくさんの音が一気に耳に入ってきてつらい。

嗅覚 : においに敏感・苦手なにおいが気になる。

触覚 : 触れた感覚に違和感や拒否感がある。椅子の座り心地、机の固さ、教科書の紙質など。

繊細すぎる

感覚過敏と同様、同じ出来事を経験してもストレスに感じない人と強く感じる人がいます。繊細すぎる子は、さまざまなことに敏感に反応し、学校の環境に疲れてしまいがちです。

自分が直接的に何か言われたときだけではなく、他の子が先生から怒られているのを見ただけで傷ついてしまうようなことがあります。

読み・書きができないといけない

読むことと書くことを重視する日本の教育

不登校の子の中には、読み・書きが苦手という子が比較的よく見られます。これも、脳機能の特性といえます。

日本の教育は「読むこと」「書くこと」をとても大切にします。ノートをとる、繰り返し漢字の書き取りをするといったことで、国語力がつくと考える先生も多いものです。

読むことや書くことが苦手な子もいる

脳の特性によって、読み・書きが苦手な子がいることは、まだまだ学校ではあまり知られていません。

読んだり書いたりすることが苦手でも、授業を聞いて理解できていることも多いのですが、それは認められないというのが日本の学校の現状です。

うちの次男も書くのが苦手で、学校に行っていたころはよくノートをとらないことを親子ともども先生に注意されました。

ただ、次男に聞くと「内容はわかる」と言うし、先生も次男が授業の内容を理解していることはわかっているのです。

でも「書かないと困る」ということを言われ、もしかすると先生の方が困っているのか?

となんだかわけがわからなくなってきたことがありました。

読み・書きができないと学校環境には合わない現実

個人的には、授業の内容がわかっていればそれでいいのでは……と思いますが、日本の学校ではなかなかそれは認められないものです。

そうなると、読み・書きが苦手な子は、学校には合わない、ということになってしまいます。

子どもだと思って甘くみているのかも

勉強のレベルやスピード/教科の好ききらい

その他にも、勉強に対する理解の速度が子どもによって異なることもあります。理解の早い子は退屈してしまうし、理解に時間がかかる子はわからないうちにどんどん学習が進んでしまうことになります。

理解が早い・遅いにかかわらず、じっくり聞いていくと、不登校の理由の一つに学習のレベルやペースのことをあげる子は意外と多いものです。

また、自分のペースを守りたい子にとっては、好きな勉強や作業を中断させられたり、嫌なことを強制されたりするのは苦しいものです。

個人のペースに配慮がないことを苦痛に感じる子には、学校はいづらいところとなります。

思うに「子どもだから」と思って甘く見ているのでは

一方的に先生の話を聞かせる、時間内は座っているのが当たり前、先生が話しているときは黙っているなど、学校には、なんとなく子どもは黙って大人の話を聞いていればいい、というような威圧感があるようにも感じます。

また、感覚過敏や繊細さなどへの配慮がないことも、子どもを甘く見ているような気がします。「子どもだから大丈夫でしょ」というような意識が、垣間見えてしかたありません。

環境が変われば伸ばせる能力や個性がある

海外ではもう少し自由な学び方もある

オランダやアメリカなどでは、もう少し子どもが自由に学べる雰囲気があるといわれています。詳細は、また別の機会に譲りますが、日本のような管理体制がしっかりした学校環境にストレスを感じる子には、海外にあるような自由な学び方が合っているのかもしれません。

学びのスタイルを選べる世の中へ

学校の環境が少し違えば学び続けられる子が、不登校になって学習機会を無くしてしまうのはとてももったいないと思います。

個人的にはどんな形でも、学んだことが身につけばいいと思っています。

書くのや読むのが苦手ならICT機器の助けを借りて学習を進めればいいと思うし、集団が苦手なら少人数や家庭で学習できればいいと思います。

学び方を選べるようになると、より多くの人が救われるのではないでしょうか。

教育について、もっともっと柔軟に考えていかないと、日本はどんどん世界から置いていかれてしまいます。

これだけ不登校が増えていることに、教育業界はもう少し危機感を持たないといけないし、すぐにでも変えていかなければいけないことだと思っています。

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