わが子が不登校になった当初は、不登校の子の苦しみがかわいそう……と、いう気持ちでいっぱいでしたが、いろいろ経験したり考えたりしているうちに、今学校へ行けている子の中にも、苦しい気持ちで過ごしている人がいるんじゃないかと思うようになりました。
学校に行っているときから子どもは苦しんでいた
思い起こせば小学校のときもときどき「行きたくない」日があった
うちの長男は、小学校時代特に大きな問題もなく学校に通っていました。毎日友達と遊び、学校行事にも普通に参加して、勉強は特に好きではないけれど授業にもちゃんと出席していました。
時々急に「行きたくない」ということはあったのですが、1日休むと次の日はまた普段通りに行ったので、まさか中学に入って不登校になるとは思ってもいませんでした。
ただ、中学で不登校になったあと、長男とよく話をするようになり、その中で「小学校のときも学校へ行くのがつらいときがあった」と、いう話を聞きました。
私は気づかなかったのですが、長男は小さいときから「学校が苦しい」と感じることがあったのです。
プレ思春期のせい? 子どもが荒れ始めた時期
小学校4年生くらいから、勉強のことや生活のことで注意をすると不機嫌になり、親子でモメることが増えてきました。
ときに長男は、私や次男がけがをするほど家庭内で暴れることもありましたが、学校を休むことはありませんでした。
先生に相談すると「信じられない」と言われた
家庭での荒れた様子に困った私は、当時の担任の先生に相談をしにいきました。
先生は「本当ですか? 学校ではおだやかでよく気がついて本当にいい子ですよ」と、信じられない様子。
「心配ないとは思いますが」と半信半疑な様子の先生。でも、一応スクールカウンセラーにはつないでくれた、ということがありました。
学校では「いい子」を演じている
先生や親は子どもが「いい子」でいることが当たり前だと思っている
当時、長男が荒れてしまったり、不登校になってから抑うつ状態になったりしたのは、やはり私の対応が間違っていたからだと思います。自分の子育てを思い出すと本当に反省することばかりです。
私は長男のことを、小さいころからずっと「おだやかでやさしくてよく気のつくいい子」だと思っていました。もちろん、それも事実ではあります。
ただ、私はそれ以外の「うそをつく」「勉強をしない」「約束を守らない」などといったいわゆるマイナスな面が心配で、このままではいけないと思い過ぎていたのです。
今思えば、そんなことは子どもなら当たり前の行動なのですが、当時の私は、子どもが成長するにつれて考え方や行動が変化していくことを理解できていなかったのだと思います。
親はわが子が「いい子」であることを当たり前だと思ってしまいます。大勢の子どもを見なければならない先生方も、いい子でいることが当たり前だと思う人は多いのかもしれません。また、いい子でなければ学校では過ごせないという雰囲気も、現実にあるのだと思います。
家で気を抜くのは当たり前だった
でも、家では少し甘える気持ちも出てくるのでしょう。学校では周りの目があるから許されなくても、家なら多少わがままを言ってもいい……子どもにしてみたらそんな風に思うのは当然です。
外でがんばっているんだから、家で気を抜くのは当たり前……私も、今ならそう思えるのですが、当時はそんな簡単なことに気づけなかったのです。
今は思う「いい子」を演じられる危険性
長男は不登校になった当初、先生方から「明日はちゃんと学校来られるかな?」などと聞かれると必ず「はい」と答えていました。
自分がどのように答えたら大人が満足するのかがわかっているのです。たぶん、大人の前では今までずっとそうしてきたし、それ以外の方法は考えつかなかったのだと思います。
大人の前だけではなく、集団の中では自分を抑えてうまく立ち回る必要もあるでしょう。いい子でいればいるほど、子どもの苦しみは深まるのだと思います。
子どもが周囲の目を異常に気にするのはなぜか
小さいときから管理されて育っている
多くの子どもたちは、周囲の目を異常なほど気にしています。
その理由の一つに、学校での管理教育があると思います。大勢の子どもがいるからある程度管理をしなければならないのはわかりますが、子どもを育てていくことが目的なのか管理するのが目的なのかがわからなくなっているケースも見られます。
「変な人」だと思われてはいけない
周囲と異なる行動をとって「変な人」というレッテルを貼られることを、子どもたちは恐れています。集団の中で悪目立ちするのは、絶対避けなければならないのです。
「疎外されたらどうしよう?」という恐怖感
子どもは、周囲に溶け込んでいないと仲間外れにされたりいじめの対象になったりすると感じています。学校が世界のすべてという子どもにとって、学校で疎外されるということは生きていく場を奪われるのと同じ意味を持ちます。
「自信のなさ」から自己肯定感が下がる
自分よりすぐれている人を見て、自信を無くすことはよくあることです。ただ、必要以上に自己肯定感が下がってしまい、「レベルが低い人」と思われているのではないかと、不安感が強まることもあります。
「価値のない自分」は、周囲の人に受け入れてもらえなくなるのではないかと思ってしまうのです。
「学校へ行く」ことですべてが解決するわけではない
学校へ行っていても苦しい気持ちでいるのはかわいそう
おそらく今学校に行っていて表面的には問題がない子の中にも、苦しみを抱えている子がいるはずです。
大人は学校にさえ行っていれば問題ないと思いがちですが、学校に行くことで苦しい毎日を過ごすのは、不登校になるよりつらいことかもしれません。
心身の健康守るために休むという選択もある
よく子どもの「登校しぶり」の段階で、不登校になってはいけないと悩む方もいるのですが、多くの場合、登校をしぶり始めたときには子どもはすでにかなり疲れてしまっています。
私自身も長男が休み始めたとき「このまま不登校になってはいけない」と思って必死に行かせようとしたので、そう思う気持ちはとてもよくわかります。
でも、今は「登校をしぶったときには休ませてほしい」とはっきり言うことができます。自分の経験からも、多くの方のご相談を受けた中からも、子どもの健康を守るためには休みが必要だと感じます。
「休んでも大丈夫」なしくみを作る必要性
ただ、学校を休むと学習機会や学校行事などで体験できたはずの機会が奪われてしまうのは事実です。
今は、民間の支援がいろいろあるので、そういったサービスを利用するというのも一つの方法です。
でも、本当は、学校に行けなくなっても大丈夫なように、行政の仕組みを整える必要はあると思っています。
少子化が進み不登校の子どもが増える中、今までの教育制度だけではやっていけなくなる日が必ず来るはずです。時代の流れに沿って、いろいろなスタイルの学びが選べるようになっていかなければいけないと思うのです。
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